松江地方裁判所 昭和41年(ワ)69号 判決 1968年2月26日
原告
森脇繁野
ほか六名
被告
島根ペイント株式会社
ほか一名
主文
被告らは各自、原告繁野に対し金三一〇、〇〇〇円、原告治子、同道子同正子同良友同督子、同明に対し各金一二〇、〇〇〇円並びに右各金額に対するいずれも昭和四〇年二月二日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
原告らその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを四分し、その一を被告らの、その余を原告らの各負担とする。
この判決は原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。
事実
第一、当事者の申立
原告ら訴訟代理人は「被告らは連帯して、原告繁野に対し金一、一〇二、六八〇円、原告治子同道子同正子同良友同督子同明に対し各金五三四、二二七円並びに各金額に対するいずれも昭和三九年一二月二八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告らの連帯負担とする」との判決を求め、被告ら訴訟代理人は「原告らの請求を棄却する、訴訟費用は原告らの負担とする」との判決を求めた。
第二、当事者の主張
一、原告らの請求原因
(一) 被告松浦は被告会社に雇われ原動機付自転車の運転業務に従事している者であり、原告繁野は後記訴外森脇弥三の妻、原告治子は長女、同道子は二女、同督子は三女、同正子は四女、同明は二男、同良友は三男である。
(二) 被告松浦は昭和三九年一二月二八日午後零時三〇分頃被告会社の業務上第二種原動機付自転車(松江市A三五三七号、以下本件自動車という)を運転し、幅員約一〇メートルの松江市寺町一七五番地先道路を南から北に向つて進行中同道路の西側から東側に横断中の訴外森脇弥三(当時六五才)を認め同人の前を通過するに際し、同人に対する注意を怠り警笛を吹鳴して警告を与えることもなく漫然進行した過失により至近距離において危険を感じ急停車の措置をとつたが間に合わず同人に衝突してその場に転倒させ、因つて同人に対し左下腿開放骨折の傷害を与え、昭和四〇年二月一日同市母衣町松江赤十字病院において外傷性シヨツクによる心臓衰弱により死亡させた。
(三) 右事故は被告松浦が被告会社の業務執行中その運転上の過失によつて生じたものであるから同被告は民法第七〇九条により、また被告会社は被告松浦の使用者として同法第七一五条によりいずれも連帯して右弥三並びに原告らの蒙つた損害を賠償すべき義務がある。
(四) 而して弥三は右事故当時六五才で島根日産販売株式会社に勤務して森脇家の家事家計の一切を掌握し平素から身体強健で今後稼働可能年令六年間同一の業務に従事することができる。然るに同人の死亡のため金三〇八、〇四〇円(同人の一ケ月金一一、〇〇〇円の収入から生活費一ケ月金六、〇〇〇円を控除し、ホフマン式を用いた各年度の純利益から年五分の中間利息を控除しこれに六年間を乗じた純利益)の得べかりし利益を喪失し同額の損害を蒙つたところ、原告繁野は妻としてその三分の一に相当する金一〇二、六八〇円、その余の原告らはいずれも子としてその各九分の一に相当する各金三四、二二七円の割合で弥三の右損害賠償請求権を相続した。また原告繁野は昭和六年一一月二五日弥三と婚姻以来三五年間に亘り夫婦として円満平和な生活を継続してきたものであるが本件事故により夫を奪われ、その余の原告らは子として父の死亡によりそれぞれ多大の精神的苦痛を受けたのであり、これを慰藉するものとして原告繁野については金一、〇〇〇、〇〇〇円、その余の原告らについては各金五〇〇、〇〇〇円の支払を受けるのが相当である。
(五) よつて被告らに対し連帯して、原告繁野は合計金一、一〇二、六八〇円、その余の原告らは合計各金五三四、二二七円並びに右各金額に対するいずれも昭和三九年一二月二八日から完済まで民法所定の年五分の割合による損害金の支払を求める。
二、被告らの答弁
(一) 原告ら主張の請求原因(一)のうち被告松浦が原動機付自転車の運転業務に従事していたとの点を否認し、その余の事実は認める。同(二)のうち原告ら主張の日時場所において被告松浦運転の本件自動車と道路を横断中の訴外森脇弥三とが衝突し、右弥三がその場に転倒しそのため左下腿開放骨折の傷害を受けたこと、弥三が原告ら主張の日松江赤十字病院で死亡したことは認めるが、その余の事実は否認する。同(三)及び(四)の各事実はいずれも争う。
(二) 本件事故の態様及び事故発生の原因は次のとおりであつて、被告松浦に過失はない。すなわち被告松浦は時速約二五粁の速度で事故現場近くまで進行したが、左方から軽四輪車が道路に出て先行したため速度を二〇粁に落し同自動車の一、二メートル後を進行した。ところが弥三(当時の天候は雨で、同人は洋傘をさしていた)は非横断地帯である本件事故現場(本件事故現場から南へ約四〇メートルの場所に十字路があり、そこに横断歩道の標示があるからその横断歩道によつて道路を横断すべきである)を横断しようとしてその横断中右の軽四輪車と本件自動車とが連続して進行してきたので佇立して先行の軽四輪車を避けたが同自動車通過後後続の本件自転車を無視し突如横断行為を再開し本件自動車の進路に歩き出したため被告松浦は直ちにハンドルを右に切り急停車の処置をとつたがスリツプして本件自動車の左ステップが弥三に衝突したのであつて、右事実より見れば本件事故発生の原因は弥三の重大な過失によるものと考えられる。すなわち弥三は雨中傘をさして非横断地帯を横断しようとし、しかも横断するに当り本件自動車に先行する軽四輪車には注意したがその一、二メートル後から進行する本件自動車を無視し漫然横断したもので弥三の右不注意な横断行為が本件事故発生の原因である。これに反し被告松浦は当時時速二〇粁の速度で進行しており、同被告が警笛を吹鳴しなかつたのは、弥三が先行の軽四輪車の後から本件自動車が進行して来ることに気づいたと思つたからであつて、同被告がそう思つたことに過失はない。また先行の軽四輪車を避けた弥三が本件自動車の一、二メートル前で突如横断しようとした、殊に非横断地帯で進路に出た場合になお即時停車せよというのは無理である。運転者にそこまでの注意義務を要求することはできない。それ故被告松浦には運転上の過失はない。
(三) 仮に本件事故の発生につき被告松浦に過失があつたとしても、弥三は原告ら主張の外傷性シヨツクによる心臓衰弱により死亡したものではない。弥三は事故当時六五才の比較的高齢者であつた上に受傷前から高血圧、心筋障害があつて輸血にも耐えない程度であつたところ松江赤十字病院医師の施した第二回目の骨接合術により弥三の全身状態を悪化させ死に致つたものである。それ故本件衝突事故による弥三の負傷と同人の死亡との間には因果関係はなく同人の死亡については被告松浦に責任はない。
(四) 本件事故は被告会社に全く無関係であるから被告会社には本件事故による賠償の責任はない。すなわち被告松浦運転の本件自動車は同被告の所有であつて、同被告は被告会社の業務に関係なく、昼休み時間に際し私用の買物のため本件自動車を使用して走行中本件事故を惹起したものであり、しかも被告会社は昭和三八年一二月中被告松浦を含む全従業員に対し出勤後は私用車の使用を禁止することを告示しており、被告松浦はその禁をおかして恣に他出したものであるから被告会社に損害賠償の責任はない。
(五) 仮に本件事故発生につき被告松浦に過失があり、また被告会社に損害賠償責任があるとしても、本件事故の発生については弥三にも前述の如き重大な過失があつたのであるから、その過失は損害賠償額の算定につき相殺さるべきである。
(六) なお被告松浦は昭和四二年三月二三日原告繁野に対し見舞金として金五〇、〇〇〇円を支払つた。
三、被告らの答弁に対する原告らの陳述
被告ら主張(二)の事実のうち本件事故現場から南へ約四〇メートルの場所に十字路があつて、そこに横断歩道の標示があることは認めるが、右場所までかなりの距離があるから歩行者は右横断歩道によつて道路を横断しなければならないものではない。その余の事実については原告らの主張に反する部分はすべて否認する。同(三)ないし(五)の各事実はいずれも否認する。同(六)の事実は認める。
第三、証拠関係 略
理由
一、昭和三九年一二月二八日午後零時三〇分頃、幅員約一〇メートルの松江市寺町一七五番地先道路において被告会社の被用者である被告松浦の運転する本件自動車と右道路を横断中の訴外森脇弥三とが衝突し、右弥三がその場に転倒しそのため左下腿開放骨折の傷害を受けたこと、そして弥三が昭和四〇年二月一日松江赤十字病院において死亡したことは当事者間に争いがないところ、被告らは本件事故と弥三の死亡との間の因果関係を争い、弥三の死亡は本件事故による負傷に基づくものではないと主張するので、まずこの点について判断する。
〔証拠略〕を総合すれば、弥三は本件事故により左下腿開放骨折の傷を受けた後直ちに松江赤十字病院に入院し手術を受けたのであるが、弥三は受傷前から高血圧、心筋障害があつたため輸血もよくできず、また出血と骨折による外傷性シヨツクも非常に長く受傷時のシヨツクがなかなかとれなかつたこと、そして昭和四〇年一月一三日骨折部からの出血が止まらないため骨折部癒合の再手術(観血的骨接合術)を受け、右術後一応小康状態を保つてよくなつたが、同月一八日から手術部からの出血が多くなり種々治療を試みたが効果なく徐々に全身衰弱と心衰弱をきたし、同年二月一日死亡するに至つたものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。右事実からすれば本件事故による弥三の負傷とその死亡との間には相当因果関係があると解するのが相当である。
二、そこで、本件事故発生の原因並びに事故当事者の過失の有無につき考察する。
〔証拠略〕を総合すると、本件事故現場である松江市寺町一七五番地先道路は南方朝日町十字路から北方新大橋方面に通ずる幅員約一〇メートルの平坦な舗装道路(以下本件道路という)で、歩車道の区別があり交通状況は比較的ひん繁であること、そして本件事故現場の南側近くには本件道路と丁字型に交差する丁字路があり、この道路は西側の寺町方面に通じていること被告松浦は事故当時時速約二五粁の速度で本件道路を南から北に向け進行中前記丁字路附近まで進んだとき西側の道路から軽四輪車が本件道路に出て左折先行したため速度を約二〇粁に落し同自動車の後を進行したところ、現場から手前約七、八メートルのところで西側から東側に向け本件道路を横断中の弥三(当時の天候は雨で、同人は洋傘をさしていた)を認めたが、同人が立ち止まつて先行の軽四輪車をさけたので、被告松浦は弥三がそのまま立ち止つているものと思い同人の動静に余り注意を払わず進行を続け、手前三、七五メートルのところまで来たとき弥三が再び横断をはじめたので、危険を感じ直ちにハンドルを右に切つて急停車の処置をとつたがスリツプして車が止まらず本件自動車の左ステツプを弥三の左足に衝突させ、同人をその場に転倒負傷させたものであることが認められる。〔証拠略〕中以上認定に反する部分は措信しない。ところで自動車の運転者、殊に先行自動車の後から進行する自動車の運転者は道路を横断中の歩行者を認めたときは、その歩行者は先行の自動車には気がついても後続する自動車には気がつかないかも知れないので警笛を鳴らして警告を与えると共に歩行者の動静態度に注意し、速度を何時でも停車できる程度に減じ徐行すべき注意義務があるのに、被告松浦は右注意義務を怠り七、八メートル手前の個所を横断中の弥三を認めながら同人が立ち止まつて先行自動車をさけたので、そのまま立ち止つているものと思い警笛も鳴らさず、また同人の動静に余り注意を払うこともなく漫然進行したのは過失というべく、本件事故は被告松浦の右過失によつて生じたものと認めるべきである。然しながら一方原告繁野本人尋問の結果によれば、事故当時弥三は勤務先の島根日産販売株式会社(当時松江市伊勢宮町所在)の社用で外出しその帰途本件事故現場を横断しようとしたことが認められるところ、歩行者が道路、殊に本件道路のように交通状況の比較的ひん繁な道路を横断する際には十分左右を見て交通の安全を確認することが要求され、車両等の直前又は直後の横断は禁止されている(道路交通法第一三条第一項)のに、弥三は本件自動車に先行する軽四輪車はこれをさけたけれどもその後に続く本件自動車には気づかず或は気づいたが本件自動車の前を通り抜けられると思つたのか先行車が通過するや後続する本件自動車の状況に十分意を払うことなく再び横断をはじめ本件事故に遭つたのであるから、弥三にも本件事故発生についての過失があつたと認めるのを相当する(なお被告らは本件事故現場から南へ約四〇メートルの場所に十字路があり、そこに横断歩道の標示があるからその横断歩道によつて道路を横断すべきであるのに弥三が本件事故現場の道路を横断しようとしたのは過失であると主張し、右十字路(朝日町十字路)に横断歩道の標示があることは当事者間に争がないけれども、右十字路は本件事故現場から南へ約四〇メートルも離れており、道路交通法第一二条第二項にいう「横断歩道がある場所の附近」とはいい難いので、弥三が本件事故現場の道路を横断しようしたこと自体を以て直ちに過失とは断じ難い。)
そうすれば、被告松浦は本件事故により弥三並びに原告らの蒙つた損害を賠償すべき義務があるものというべきであるが、本件事故発生については弥三にも前述の如き過失があるから、この過失は右損害額を算定するにつき斟酌されるべきものとする。
三、次に被告会社の賠償責任の有無につき判断する。
被告松浦が本件事故当時被告会社に雇われていたことは当事者間に争がなく、〔証拠略〕によると、被告会社は塗料、接着材、建築材料、家具用資材の販売等を目的とする資本金五〇〇万円の会社で、被告松浦を含め約五〇名の従業員がおること、被告松浦は事故当日である昭和三九年一二月二八日午後零時三〇分頃会社の昼休み時間中に同人所有の本件自動車を運転し洋服を買いに出たが、その途中本件事故が発生したものであることが認められる。右事実からすれば本件事故発生当時における被告松浦の本件自動車の運転は被告会社の昼休み時間中に被告会社従業員の私用のためのものであるといえないことはない。然しながら〔証拠略〕に徴すれば、被告松浦は昭和三九年一〇月一〇日原付二種免許を受け以来被告会社への通勤用に本件自動車を常時使用していたが、このことは被告会社も認めており、また被告松浦は本件事故当時室内装飾の取付工事等の業務に従事していたのであるが、右業務のため仕事現場へ行くとき本件自動車を使用したことも一、二回あつたことが認められる。そうだとすれば本件事故発生当時被告松浦がたとえ被告会社の昼休み時間中に私用のため本件自動車を運転していたとしても、右運転は外形から見れば被告会社の業務のための運転と何等異なるところはないのであるから、このような状況の下における被告松浦の本件運転は民法第七一五条の適用については、被告会社の事業の執行の範囲に属するものと認めるのが相当である。それ故被告会社は被告松浦の使用者として本件事故により弥三並びに原告らに生ぜしめた損害を賠償する責に任ずべきである。
四、そこで損害の数額について検討する。
(1) 弥三の得べかりし利益喪失による損害
〔証拠略〕によれば、弥三は本件事故当時六五才で訴外島根日産販売株式会社総務課に勤め事務手伝をし、その給料は臨時給与を含め一年間に合計金一二一、四六九円であつたことが認められる。そして原告繁野本人尋問の結果によれば弥三は前記高血圧、心筋障害があつたとしても会社は一日も休まずに勤務していたことが認められこのことと厚生省統計調査部発表の昭和三九年度簡易生命表によつて認められる弥三と同年令の者の平均余命が一二、一九年であることを併せ考えると、弥三がもし本件事故に遭わなければなお六年間同一の業務に従事し同程度の給料を得たであろうことが推認されること、また前記証拠によれば本件事故当時弥三と同居していた家族は妻である原告繁野と原告督子を除くその余の原告らであつて、弥三の生活費は月金六、〇〇〇円(年額金七二、〇〇〇円)程度であつたことが認められる。そうすれば弥三は本件事故に遭つたことにより訴外会社からの収入よりその生活費を差引いた年金四九、四六九円の純益の六年間分を失つたものであり、これをホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を年毎に控除して事故当時の現価に引直すと金二五三、九五四円(円未満切捨)となるが、前記のとおり弥三には本件事故発生について過失があるから同人の過失を斟酌すれば結局同人の得べかりし利益喪失による損害額は金一八〇、〇〇〇円と認めるのを相当とする。而して弥三と原告らとの身分関係については当事者間に争がなく、従つて原告繁野は妻としてその三分の一に相当する金六〇、〇〇〇円、その余は原告らはいずれも子としてその各九分の一に相当する各金二〇、〇〇〇円の損害賠償請求権をそれぞれ相続によつて承継取得したと認められる。
(2) 原告らの慰藉料
原告らがその夫であり、また父である弥三の死亡により多大の精神的苦痛を受けたことは容易にこれを推認することができるところ、〔証拠略〕を総合すると、被告松浦は本件事故当時二〇才の独身者(月収金一五、〇〇〇円位)であるが、同人及びその母親は殆んど毎日のように病院に弥三を見舞い、また原告ら弥三の遺族は本件事故に基づく労災保険で入院治療費(金三一八、五一五円)及び葬祭料(金一七、九四〇円)のほかに遺族補償費として金二九九、〇〇〇円の支払を受けたことが認められ、この事実に前記の如き本件事故発生の原因その他諸般の事情を併せ考えると、原告らの受けた精神的苦痛に対する慰藉料は、原告繁野につき金三〇〇、〇〇〇円、その余の原告らにつき各金一〇〇、〇〇〇円と認めるのを相当とする。
五、そうすれば右各損害額を合計すると、原告繁野については金三六〇、〇〇〇円、その余の原告らについては各金一二〇、〇〇〇円となるのであるが、被告松浦が昭和四二年三月二三日原告繁野に対し見舞金として金五〇、〇〇〇円を支払つたことは当事者間に争がないので、これを原告繁野の右損害額金三六〇、〇〇〇円の内金に充当差引くと金三一〇、〇〇〇円となる。
六、以上により原告らの被告らに対する請求は、原告繁野については金三一〇、〇〇〇円、その余の原告ら六名については各金一二〇、〇〇〇円及び右各金額に対する弥三の死亡の日の翌日である昭和四〇年二月二日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 広瀬友信)